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=大賀幹夫のキャリア(その2)=
藤原:どうなんでしょう、その頃の同期の人たちとかで強かった人とか、印象に残っている人は? やっぱり中井さんですか?
大賀:七帝は無差別だから、大きい人が強い訳で……他に印象に残ってる人だと、舘野さんとかかな。
中井さんとは個人的にお友達だったという感覚かな。
藤原:中井さんの方は、七帝柔道家としてはどうだったんですかね?
上村:進学校のあまり強くなかったらしいレスリング部からだから、あんまり大賀さんと違わないですね。
藤原:割と経歴がかぶってるんですね。あんまり大学に入るまで打ち込んでなかった。
上村:ただ、プロレス志向的なものは、より強かったでしょうね。
長谷川:舘野さんて、名古屋大の?
大賀:そう、寝業研究会の舘野さん。中井君はまぁ、実は全国大会に出て一回戦を勝ってるんですけどね、何故か。ふふ。
藤:先に進めますけど、大学時代のことで振り返っておくのは、このくらいでいいですか?
大賀:うーん、どうだろ……。
藤原:71年生まれだから、UFCの第一回大会(93年)があったのが、大学の終わりごろですよね?
大賀:僕は、まともにUFC見たことないですからね。
上村:まったくその影響とか受けなかったんですか?
大賀:まぁ、『修羅の門』とか読みながら、「ああ馬鹿なことやってるな、こんなのより寝業の方が強いのに」とかは思ってたけど(笑)
一同:笑
藤原:じゃあ、グレイシー柔術の人たちが出て来たこととかも、そんなに興味があった訳じゃなくて?
大賀:まぁ、グレイシーの人たちが出て来てたのは知ってたから、ああ、俺のやりたい事をやってくれてる人たちだなって。
上村:自分でやる事になるとは、思わなかったんですか?
大賀:思わなかったですね。
藤原:あ、思ってなかったんですか?
上村:ああいうのは、普段から俺が考えてた事なんだから、よし自分もってやってみるかって……。
藤原:普通、思いそうな感じですよね。
大賀:まぁ、身体が小ちゃかったからね(笑)。
上村:まぁそりゃ、今ほど整備されてなかったでしょうけれど、体重別の総合を目指すとかは?
大賀:僕は、大学でた後まで柔道とかズルズル引きずるのは良く無いと思ってたんですよ。
今でも、七帝系の人と話して、僕今寝業で生計立ててるんですよていうと、ヘぇお前みたいな奴がねって言われちゃうし(笑)
長谷川:同期の方って、もう格闘技やってないんですか?
大賀:ほとんどやってないです。舘野さんももう……どうなのかな? また、子育てとか仕事とか一段落したら多少変わるのかもしれないけど。今みんな忙しい時期でしょうね。
藤原:で、大学でた後サラリーマンになった訳ですよね。SEでしたっけ?
大賀:違うよ、半導体部品の開発です。
藤原:完全なエンジニアですね。サラリーマンとしてはどうでしたか? 自己評価してみると。
大賀:大変優秀なサラリーマンでしたよ〜(笑)。
上村:辞めると言ったら、引き留められたんですよね?
大賀:そうです。だって俺、凄い仕事したもん。
藤原:5年勤めて会社を辞めた訳ですけど、普通どう考えても……サラリーマンを続けそうなものですけど。なんでそこで辞めたんですか?
大賀:うーん、サラリーマン二年目の終わりくらいから好きなことで独立したいなと思ってたんだよね。
僕は始めは、実は本屋さんやりたかったんですよ。
藤原:本屋さん(笑)。そんなの誰にも言ってない、初耳ですよ。
大賀:言ってるけど、mixiの日記で始めの頃(笑)。鹿児島の方に移った後、色々と自分で調べたり、ニフティの本屋さんフォーラムで人から話しを聞いたりしたんだ。で、ちょっとこれから先は、本屋さんは厳しそうだなということが分かって来て、流石に思い直しましたけどね。
で、また1年くらい何しようか考えて、今度は鍼灸師になろうって思ってしまったんですね、これが。
鍼灸師の試験を受けて合格したんで、僕はそのまま会社辞めて東京に出て来たんですよ。
上村:その当時、鹿児島の方でもサークル(薩摩寝業会)やってましたよね?
その時から、寝業教えて食べようとは思ってたんですか? 趣味?
大賀:あのー、さっきも言いましたけど僕は柔道とか教えて食べてくことに、基本的に罪悪感があるんですよね。
上村:ああ、そう言うとこは確かに柔道の人にはあるみたいですね。
大賀:そのへんは、柔道や剣道の人と、空手の人が大きく違うところで……。
藤原:そういう「柔道を教えて食べてくのに罪悪感」と言う感覚はどっから来るんですかね?
上村:柔道は、学校体育で習えるし、公民館とか町道場でとても安く教えてもらえるし、接骨院の人とか学校の先生とか、とにかく色々なところに指導出来る人がいるから。柔術みたいに、月一万円の月謝とかは、あんまり考えられないんじゃないかな。だから吉田道場とかのほうが、ある意味画期的なんじゃないの? 柔道の世界では。
大賀:それに、剣道や柔道は上手く社会構造に組み込まれてるところがあって、その偉い先生に従ってやってれば(就職の世話とかもしてもらえることが多いので)、その後、普通に社会貢献しながら食べていけちゃうことが多い。フルコン空手はちょっと違うのでしょうけど。
だから、僕みたいに人に教えて食べていきたいんですけど、とか相談されると、止めとけってついいっちゃうんですよ。
藤原:1999年に東京に出て来た訳ですけど、この時すぐにねわざワールド始めてますね。最初はどんな感じでしたか?
大賀:すぐに10人くらい集まったよ。当時は、格闘技通信にそういう仲間を募集するようなコーナーがあって、そこに告知させてもらったり。中井君とかも、とにかく柔術を広げたかったから、武蔵野でねわワをやってることを方々に紹介してくれたしね。やってるとこも少なかったから……割りと。
藤原:じゃあ、最初からかなり順調だったんですね。
大賀:うん。
上村:もうその時から、実態はブラジリアン柔術の道場だった訳ですか?
大賀:まだその時は、自分が寝業好きだからってくらいですね。まぁはっきりいって中井君が月に1万円取るなら、僕が週一で2000円でも文句あるまいと。そんな考えでした。中井君より少し安い料金なら、僕がセミナーとかやっても構うまい、そんな意識でしたね、正直なところ。
藤原:ねわワが出来て、今年で8年てことになりますけど、大きな出来事である2003年の道場開設以前で、なにか大きな印象の試合とか、ターニングポイントとかありましたかね?
大賀:うーーーーーん、特に無いなあ。あ、でも2000年のカンペオナートで一回引退したので、それは分岐点ではあるね。
上村:二回くらい引退してますよね?
藤原:大賀さんは何度も復帰してるから、猪木ですね(笑)。
大賀:まぁ僕の中では2000年以降、マスターの試合にしかでないつもりだったんだけど……傍目にはどこも変わったようには見えないんだろうねぇ。
藤原:で、その後トントン拍子に帯色をあげて、2002年のカンペオナートで茶帯になって、2003年の2月に道場を開設しました。
その時は、どんな心境で道場を持ったんですか?
大賀:うーん、もともと、ちゃんとした治療所を持とうと思ってたので、それと別に道場も持とうとは全然思ってなかったんですよね。でも、ある時、同じ場所で治療と寝技の練習とかをやればいいんだ、と気がついて、道場を設けたんだ
だから、ここは僕の完全なパーソナル空間になっちゃってますね。他にもヨガとか個人的に興味あることが出来たら、良いなと思って。最初は他にも、キックとかもやったんだけど、結局、柔術道場らしきもになってるね……一応。
上村:道場できる前は、どうやって生計たててたんですか?
大賀:基本的には、2000年からねわワと針灸の仕事、あと試合を開催した際の収入でもうなんとか食べていましたよ。まぁ、3万2000円のアパートだったんで……
上村:それはかなり安いですね(笑)
大賀:みるみる痩せていく貧乏生活でしたけど……。
上村:頻繁に開かれてた白帯カーニバルにはそう言う意味合いが(笑)
一同:笑
上村:薄々感じてはいましたけど(笑)。
藤原:あれが大賀さんの生命線だったっていうのは、当時を知る人の印象らしいですね(笑)
大賀:まぁ食べては行けたけど、この先どうなるだろうと言うのがあって、道場を。
上村:(罪悪感を持っているのに)ねわワで教え始めて、道場を持つという流れに違和感は?
大賀:意に反して、何故かそうなっていきましたね。
藤原:ブラジルを急に意識し出しのは、2003年に道場を作ってからでしたよね?
大賀:道場作った年末になんか(中井さんから)黒帯もらっちゃったから、色々考えてね。マスターであっても黒帯で日本人初の世界一になれたら凄いんじゃないかって本気で考えて。今までずっと趣味でやってきたので……。
藤原:大賀さんが本気になったのって、ようやくそこからなんですね(笑)。ある意味、人生で始めて本気になったのもそこ?
大賀:いいや(笑)、もちろん七帝も本気でやったけどさ、会社員時代も、針灸時代もそうだよ。柔術に関しては黒帯になってからだね。
まぁ、マスター&シニアも一、二年でとれるだろうと思ってたけど、4年もかかっちゃって、良かったと言えば良かったんだけど、そんなに極端に嬉しくも無いというか。
藤原:あのー、計5回海外遠征した訳ですけど、どうでしたか、全体を通しての感想は? もう大賀さんのキャリア談義もこの辺で締めですので、語っていただければ。
大賀:マスターシニアに関しては、一年目はすぐ負けちゃって。
マルコ・ノラトっていう相手だったんだけど、ガロのムンジアル王者だったんで、強すぎるのとあたっちゃったんだろうね。
二年目は、準優勝したけど、あれはもうクジ運だね。
その時は、優勝出来たんじゃないかって思ったけど、それでも今から冷静に考えるとやっぱ無理だなと思う。
三年目も、オマー・サルムという規格外に強い人とあたっちゃって、一回戦敗退。
三年目の俺が二年目の大会に出てれば充分に優勝出来たんで、この時は本当に残念だった。
四年目は、もうシニア1の年齢(36〜40歳)だったんで、大人しくシニアに出場したんだけどさ、ちょっとオーバースペックだったらしくて、割合あっさりと優勝して終っちゃった感じかな。
本当は、マスター(30~35歳の)プルーマ(55~61kg)で優勝したかったけど、まぁねぇそれは無理な可能性が高いかなぁ……。
上村:(今年の)ムンジアルの方でも、ガロ級に出て3位入賞でしたよね。あっちの記録も凄い。だって、今までムンジアル3位って吉岡大さんしかいなかった訳でじょう? まぁ、(同大会、同階級で準優勝した)本間君という超新星がでちゃったけれど(笑)
大賀:そうですね。しかし、ジョン・カルロス君も、強かったですね。僕がいなけりゃ優勝してた可能性があると思いますよ。
上村:中井さんは凄い喜んでたみたいですよ。柔術から距離をおいて、クールにやってる人が勝っちゃった訳ですからね。
逆に、ピュアなブラジリアン柔術ラブな人たちにとっては、すげー悔しいと思うんですよ。まぁ名前は挙げませんけど。
大賀:面白くは無いでしょうね。
上村:柔道からやって来て、ちょっとやってみるかって感じの大賀さんなんかが結果を出してると言うのは(笑)。本当に、そこが凄いところです。
大賀:僕ね、自分が黒帯になった後で真剣になったでしょう。
他の人はむしろ、黒帯になるまでに燃え尽きてる部分もあるんじゃないかなと思うんですよ。
あと、僕はもの凄く技術的な偏りが大きかった分、のびシロも大きかった部分があるんです。
だからだと思うんですよね……黒帯になってから色々と結果が出せたのは。
燃え尽きてなかったのと、黒帯になったあとののびしろがあったのが、やっぱり大きな原因じゃないかな。
ちょっと偉そうな言い方になっちゃいますけど。
藤原:では最後に、自分の半生を振り返っての総括などありますか?
大賀:うーん、自分にあったことをして来て、ほとんどやりたいようにやって来て上手く行ったので良かったなと。
藤原:本当に、今聞いてると随分とラッキーな人なんですね(笑)。
大賀:うん、そうなんだよ。だから他の皆さんには申し訳ないなと思うところもある。
藤原:じゃあ、それでまとめの言葉で宜しいんですか? 「皆さんに申し訳ない」と(笑)。
大賀:うんまぁ、反感買っちゃうと困るけど……。
僕はあんまり苦労が身に付かないと言うのか、苦労した部分は忘れちゃうのか……。
こんなとこで、僕の話したいことはほとんど話したよ。
